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2006年07月02日

宿題

User Created Contents と、TOYOTAのカイゼンの話 から。

問題を解決していくために、誰がどういう役割をするか。

1:考えかたの枠組みを作る人
2:考えかたの枠(テンプレート)があれば取り組み、初期データを作成できる人
3:パラメータ調整や、データ修正ができる人
4:上記のデータをなんとなく利用している人

といったように、仕事の抽象度に応じて4段階に分けてみると、

1が1000人に1人
2が100人に1人
3が10人に1人
4が残りのすべて

というように、抽象度が下がるに従って、人数はだんだん増えていく。
仮に、この考えが正しいとする。

ネットの影響によって、
1が作った枠組みを速く普及するようになった。
2のデータ入力を速くできるようになった。
3のデータ修正を速くできるようになった。
その結果、4および全体にとって役立つ情報が、速く生産されるようになった。

しかし、それだけではだめだ。
1と2と3の人数比が増えるようでなければ、
ネットが本当に革命的であるとは言えない。

ロングテールの立場によると、
「京都のラーメンについてはゼロから考え方の枠組みを作れる人」
「70年代特撮についてはテンプレートがあればデータ入力できる人」
などなど、ある特定の分野では1や2や3になれる人というのがいるはずで、
それら特定のことに詳しい人をうまく発見できれば、
1、2、3の人数を実質的に増やすことができるかもしれない、となる。
ここまではすぐに到達するだろう。

しかし、それでもまだ足りない。
70年代の特撮について、誰かが作った情報を何となく楽しんでいる人が、
70年代の特撮について、テンプレートがあればデータ入力できる人に変化し、
さらにテンプレート自体を作れる人に変化しないなら、
やはりネットが本当に革命的であるとは言えない。

そんなことは可能なのだろうか?
具体的にこうすればよい、という方法はまだ思いつかないが、
私が思う大事なことは、1は2を、2は3を、3は4を、
それぞれ上のレベルに引き上げるためのきっかけを作ることが
できる可能性があるということである。

たとえば、4の人でも、適切な人と、適切なタイミングで、
適切な対象について、適切な場所で、適切な方法で会話をすれば、
データを入力できるようになるかもしれないし、
3の人でも同様に、テンプレートを作れるかもしれない、
という具合である。

適切な人(who)、タイミング(when)、対象(what)、場所(where)、方法(how)のうち、
whoとwhatについては、SNSによって30%ぐらい解決された気がするが、
whereはまだ10%、whenに至っては5%、howは1%程度しか解決されていないだろう。
(whyについては糸口さえ見えていない)

まだまだやるべきことは多い。宿題だらけだ。

Posted by ringo : 14:50 | TrackBack