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2005年07月19日

絶え間ない交信とストレス

私の生活は、寝ている時以外の時間はすべて、何らかの方法でネットに接続されている。
ここでいう「ネット」は、外部につながっていない自分専用のマシン等も含む。
以前は、こんな「ネット依存症」のような状態は、特に理由もなく、健康に良くないと考えていた。
今日はこれについて、もうちょっと考えてみた。

健康に良くなさそうな理由は、運動不足や姿勢みたいな物理的な問題もあるが、
割り込みが多くなって精神的ストレスが増えることが重要だと思う。
さらに、問題になる割り込みは、他の人からではなく、自分による自分への割りこみだ。

たとえば、どこかの掲示板のスレッドがいまどうなってるのかが気になり、
それに数秒という短時間でアクセスできてしまうため、つい行動に移してしまう。
すると、その前にやろうとしていたことを忘れてしまうので、
それを思いだす必要がある場合は脳にとって負担になるし
、完全に忘れてしまった場合は、やりたかったことをやらなかったことになるので、
あとでツケが回ってきて負担が増える。
手元にコンピューターがあると、何にでも同じようにアクセスしやすいので、
自分で自分に割りこみをする頻度が多くなってしまう。
「巡回」や「チェック」のような行動をしすぎてしまうのである。

クエリーフリーやプッシュ型サービスを徹底的に進歩させていけば、
自分が自分に不必要に割り込んでしまう問題を減らせる気がする。

とくに意識することなく常にネットにアクセスし続けていて、必要性に応じて
コンピューターがやわらかに知らせてくれるようなもの。
たとえば、現在ではメールが来たら1種類の効果音が再生されるか
ぜんぶを音声で読み上げるといったような選択肢しかないが、
言葉でもなく効果音でもなく音楽でもないようなやわらかい音とか
ガイガーカウンターのような微妙な音で雰囲気を知らせるとか、
画面の端に、透明度の高い薄い色のアイコンが
変化しながらゆらいでいるとか、携帯電話がごくごく微小に振動するとか、
よくよく見ると画面にうっすらとテキストが流れているといったような、
微妙で精緻な表現を駆使したマシンとの接触方法をつきつめていくのは、
ストレスを軽減するために良いのかもしれない。

日本の長い歴史の中に蓄積されてきた「微妙な違いをかさねあわせる技術」
をうまく活用すれば、大陸の国にはできないインターエフィスを作れるのではないか。

Posted by ringo : 07:57 | TrackBack