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2007年03月16日

好みとは

人の「好み」とは何だろうか。
ある人はAよりもBが好きであるとする。これは具体的にはどういう事か。

好みではなく必然性に基づいて判断するほうが良いと私は考えるが、
それはなぜだろうか。

仕事をしている中で、雑談をしている中で、いろいろな場面で「〜のほうが好きだ。」
ということを言う人がいると、なにかすっきりしないものが残る。
これはなぜだろうか。

人間は、生きている。
その仕組みはまだわからないとしても、
人間の意識は、通常はひとつにまとまっているので、
生きていく中では、複数の中から1つだけを選ぶことが連続していると言える。

選択肢についての情報が十分にあるときは、選択肢の中から、
明確に一つを選ぶことができる。

選択肢についての情報が足りないときは、選択肢の中から
明確な基準をもって一つを選ぶことはできない。
それでも人間は選択をしなければならない。

判断をするために情報が足りないときのデフォルト値が、「好み」である。


この考えは、何の役にも立たないように見えて、けっこう役に立つ。

たとえば仕事で、説得したい相手が「〜のほうが好き」とか言い出したら、
それはこう読み替える。
「説得したい相手は、情報が足りていないから、
デフォルト値をただ言っているだけである。必要な情報は何だろうか?」

あるいは同僚が「RubyよりPythonのほうが好き」とか言っていたら、
「この人は、両方についてあまりよく知らないのだな」
と読むことができる。

このように考えることで、すぐに次の行動にうつることができる。
必要な情報をもれなく伝えることができているかどうか自身の行動をチェックできるし、
説得したい相手から情報を引き出すための質問を考え始めることができるし、
知識が足りない人に適切な勉強方法を教えたりできる。

この考えはさらに、「誰か(顧客)が何かを好んでいるからといって、
それに合わせることはナンセンスである」ということの説明にもなると思う。

何かのプロを自称するなら、「〜が好き・嫌い」と言うときにはこのことを考えてから言うと良い。

Posted by ringo : 08:19 | TrackBack

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