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2005年05月12日

言語の進化

火曜日、ギーク仲間(?)のひとりと、夜まで話をしていた。

彼が発見した最近のおもしろいアイデアの中に、「人類の共通祖語は、存在しない」
という考えがあるという。共通祖語とは、あらゆる自然言語の
もとをたどっていったときに、人類の祖先が話していたはずの最初の言語のことである。

人類の共通祖語が存在しない(考える意味がない)理由は、
人間の言語の安定性は、大きな言語集団ほど大きいため、
非常に小さな集団においては、言語は非常に速い速度で変化してしまい、
祖語と呼べるものは長期間存在できないというわけだ。

たとえば、ミトコンドリアを使った調査で、人類の祖先はアフリカの7人
だったという説があるが、もしその場合、最初の人類は、
チンパンジーの群れと大差ない、数人〜数十人というコミュニティを作り、
チンパンジーと同様に、1年あたり数人がほかの集団と入れかわる
という動きをしていたことになる。これだけ人数が小さいと、
そこで使われる言語は、非常に変化速度が速く、10年前の言語が、
現在とかなり違うということになりかねない。
だから、人類の祖語などというものは、あったとしても、
うつろいやすいものであり、それについて考える意味はないのだという。
実際、子供のころ、実家に一家5人で住んでいたときは、家族専用の言葉とか言いかたが
どんどん生まれ、専門用語や、変な文法がたくさん開発されていたことを思いだす。
とくに家族のメンバーが若いと、まったく予想できない言葉が生みだされ使われていく。

学校では、言語の変化は、戦争や交易などでコミュニティの
交流が盛んになると加速すると習った。交流によってマイナー言語は消滅するとも習った。
しかし、はたして、交流の極みであるインターネットは、
言語の変化を加速しているのだろうか?
ネットによって、言語は、退化してる部分と、進化してる部分の両方があるように思える。
参加者の人数が多いと言語は安定する(=変化しにくくなる)のと同時に、
参加者の人数が多いと交流も盛んになって変化が速くなるとすると、どちらが勝つのか?

ネットによる言語の変化は、以下の4つのくみあわせではないか。

1) 言語の構造の複雑さは、あるレベルに下がって落ちつく方向で変化する
2) 文字の種類の数も同様に、あるレベルに下がって落ちつく方向で変化する
3) 語句の種類の数は増加する方向で変化する
4) 言語の文法と文字の体系の種類数は減少する方向で変化する

以上の3つのことが同時に起こると考えた。

私は、チョムスキーが言うような、人間の言語能力の一部は
脳に最初からそなわっている という考えに同意する。
そして、視覚的特徴の認識機構が、
脳に最初からそなわっているという考えにも同意する。

1) は、脳が構造的にもつ機能(無限の階層構造、論理演算、数の概念など)
を、いちばん効率よく活用できるレベルに落ちつく。つまり、
必要以上に複雑な構造(8段階のthat節のネストみたいなもの)は淘汰される。
2) は、脳と視覚器官が構造的にもつ機能(網膜や図形認識ニューロンなど)
を、いちばん効率よく活用できるレベルに落ちつく。
必要以上に複雑な文字や、必要以上に単純な文字(0と1だけで書くなど)は淘汰される。

しかし、人類が脳の外側に情報を記憶させる技術を身につけた瞬間、
3)の語句の数については、脳の構造による制限はなくなった。
また、文法や文字にくらべて、語彙は、ほかの言語体系への移植がやりやすい。
多くの言語は、ほかの言語体系から語彙を取りこむ方法を持っているが、
文法や文字を取りこむ使いやすい方法はなかなかない。

4) の体系については、たとえば、ネットの普遍化によって日本語という
文法と文字は消滅しても、日本でできた語彙は残るということ。

現在、wikipediaには55万語以上が登録されていて、
私はそのうち1万も知らないと思うが、のこりの49万語については、
私は説明さえ読めば、いつでもそれを理解できるだろうから、
私は安心して、それらの単語を知らないままにできる。
それがたとえ1000万語でも10億語でも関係がないだろう。

たとえ1人の人間が、一生の間に30万語しか覚えられないという限界があろうと、
あらゆるメディアを通じて語句を保存できるから、何ら問題はないのだ。
ということで、コミュニティの人数が増えると、
言語を構成する文字数と構造は、ある単純さの最低ラインに落ちこんでほぼ止まり、
言語体系の種類を減らしさえするが、語句(慣用句、省略語も含む)
だけが増えていくということになるのではないか。

人間同士が機械の補助をうけつつコミュニケーションするのが当然な
時代がきたら、人間は、ますます少ない種類の文字と単純な構造の文章で、
非常に細かな意味ごとに用意されたいろいろな語彙を駆使して
コミュニケーションするようになるのではないか。
そうだとすると、極限に文法構造を単純化しながら「語句」にこだわった
入力インターフェイスや検索が面白いのではないか。

Posted by ringo : 09:19 | TrackBack

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